フラグ

大昔。00年代後半でベトナムのハノイに一人旅した時の話。

 

泊まった安宿は旧市街の真ん中で、周辺をとりあえずうろうろした。10年近く後にも訪れた事があるが、当時はまるで別の街だった。その頃は道行くのが自転車とバイクが半々位で、自動車は僅かだった。カラフルな看板も少なく、そもそも外国人観光客も多くは無かった。乗ったタクシーの8割位に料金を吹っかけられたのを覚えている。

 

一人旅って夜はすることがないので、宿から近くの、バルコニーが広々とした2階のバーに何度か行った。いつもガラ空きだった。ウイスキーを頼むと店員の若者が(といっても僕も二十歳くらいだったが)「ワンソート?」と毎度聞くので種類のことか、いや2種類を混ぜて出せとは言わないが、とりあえずイエス、と不思議に思いながら何杯か飲んでいるうちにone shotのことだと解った。

 

ある日、珍しく他の一人客がいた。金髪の女の人で、どっちから声をかけたんだったか(たぶん僕だ、そして話しかけるくらいだから多分それなりに美人だった気がする)、ドイツ人で、銀行で働いていたけど、なんとなく仕事を辞めて、ベトナムで姉が働いてるので2週間位居候しているとのことだった。その時僕は意識の高い学生だったので、数年で辞めるなんて根性が足りんと思っていた。すいません、あれから僕も何度か仕事を辞めました。お元気でしょうか。

 

バルコニーから見渡せる路上ではベトナム人職工が店頭で樽を作っている。あれって英語でなんて言うんだっけという話になり、互いに、出そうで出てこない、といって笑った。旧市街は(というかベトナムは全般的に)職・取り扱い商品ごとに軒を並べている。通りにも銀通りだったり布通りだったりとそのまま名前がついている。

私はスパイス通りを探していたのよねぇ、でも地図がよく解らなくて、と彼女は言う。なので店を出て、二人してスパイス通りを探して回った。彼女が誰かに書いてもらったらしい地図はおそらく不正確で、当時の地球の歩き方にもスパイス通りは載っておらず、ぐるぐる回って結局見つからないねといって笑い、同じ店に戻って結局また飲んだ。

帰り際、紙の切れ端に電話番号を書いてもらった。暇だったらまた飲みに行きましょうと言われた。旅先だとなかなかネットも使えない頃の話。電話番号をメモに書いてもらう、なんて平成仕草はあれが最後だ。

 

その後あっち行ったりこっち行ったりして慌ただしく旅行は終わってしまったが、なんで電話しなかったかなぁ、旅程は長くとるもんだなぁ、と今でも若干後悔している。