街で聞いた話

まだ平成だった頃、大手町だったか有楽町だったかの地下を歩いていた時の話。

前を歩くスーツ姿の兄ちゃんが電話で怒り気味に話していた。

 

「こっちはずっともう、クソブタの血を使わされてるんですよ!」

 

そこから道筋が別れたので続きを聞くことはできなかったが、今でも一体何だったんだろうと思う。

 

東京には色んな仕事がある。豚の血を使う仕事だってあるだろう。

 

血を固めたブラッドソーセージのような食品は、ヨーロッパにもアジアにも色々有る。しかし仮に彼がそういうの嫌いだったとしても、食品を扱うというのにクソを頭につけるのはやめてほしい。当人は血を見るのも豚も嫌いでクソブタ呼ばわりしているのかもしれないが、そこまで嫌いな奴を、そんなニッチな食品の担当にするのも可哀相すぎる。食品関係の仕事だとは考えづらい。

 

妥当な線、医療や製薬関連かもしれない。一般人の知らないところで家畜の血は実験等にあれこれ使われているらしい。しかし、豚の血にグレードがあるもんだろうか。クソブタの血というからには良質なブタの血もあるんだろう。どう判別するんだろう。彼が小指の先で豚の血をちょっと舐めてみて判別できるような人材だったら、食品関係説とは随分とイメージが変わる。

 

もっと大胆な仮説として、ライブで豚の血を大量に使うアングラメタルバンドのマネージャーとか、豚の血を大量に使う黒魔術学園の教務課職員、人血が手に入らなくて豚の血でなんとか機嫌を保ってもらっている吸血鬼男爵の下僕…と空想は広がるけどそんなんがそこらにいるほど夢のある時代だとも思えない。

 

「クソブタ」というのが本当にその、「糞豚」なのかもしれない。謎は深まるし結局なんのために血を使うのかには答えが出ないけれども。

豚便所 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%9A%E4%BE%BF%E6%89%80

 

真実はきっと、いつも全然逆の方向にある。実は、彼の故郷の村とかの独自の言い回しだったとしたらどうだろう。例えば「よく詰まるコピー用紙のようなもの」を彼の村では「クソブタの血」と表現する。ドイツあたりのことわざにありそうだ。第一次大戦で青島から連行されたドイツ人捕虜あたりが、彼の村の養豚とソーセージ作りの祖なのかもしれない。

東京で働きはじめて数年。歩きながら急ぎの電話をしなくてはいけないほど追い詰められた彼が、つい、地元の言葉で今の切羽詰まった状況を表現してしまったのだ。そのドイツ人捕虜の血を少し引く、薄灰色をした瞳が印象的な、田舎の幼馴染は元気だろうか。ねぇ、今でも"あの出来事"のことをクソブタの血だったね、とか言って笑ってたりするのかい。

 

あるいは彼個人の独自の言い回しなのかもしれない。仕事のストレスから、興奮するとつい「クソブタの血ィィィ!」とか叫ぶタイプのヤバい奴だったのかもしれない。美少女の幼馴染がいる人間より、そういうタイプの方が東京には多い。電話口の上司の苦悩も忍ばれる。

 

東京には色んな仕事が有って、色んな人がいる。

同じ言葉でも、様々な受け取り方が有る。

とりあえずクソという形容は乱用しない様、気をつけようと思った。