テレビ

僕が生まれた家には普通にテレビがあった。同年代で子供の頃、テレビ無いと言うのは流石に聞いたことがなかった。僕が大学を卒業するくらいの時「うちテレビ無いんだよね」が世間に現れ始めたと思う。妻と同居し始めた家にはテレビが無かった。その後子供が生まれて、温泉へ行った時、まだハイハイもできない子供がじっとEテレに見入るのを見て、やはり買うかと思って今に至る。確認したら約2年間が僕の「うちテレビ無いんだよね」期間だった。

 

「TVピープル」

https://www.amazon.co.jp/TV%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E6%98%A5%E6%A8%B9/dp/416750202X

村上春樹が小説の思わぬヒットによって精神をやられ、ヨーロッパへ避難した際にとりつかれた妄執を基にした短編。日本古来の伝承である「小さいオッサンの妖精」を下敷きにしている。主人公は過去作に引き続き「僕」で、常人の0.7xサイズのTVピープルなる小さいオッサン(青いジャケットを着て青いジーンズを履いてテニス・シューズを履いている)が見えるようになった。それを人に話すので妻にも職場にもヤバい人だと思われている。何事につけても「僕」は「小さいオッサンが全然映らへんテレビ置いてったんですわ、しゃぁないやろ、やれやれ」とか言うが周囲は無論無視するので挙句の果てには…という話である。

 

にしても村上春樹作品の楽しみ方の一つは、Amazonレビューを眺めることだわなぁと思う。

 

電車

日本最初の鉄道は1872年に新橋ー横浜間で開通、というのは漫画日本の歴史あたりにも載っているのでよく知られていると思う。日本最初の地下鉄である銀座線の1927年の開業キャッチコピーは「東洋唯一の地下鉄道」(厳密には地下トンネル内の仙台駅が2年前に開業しているらしい)。では日本最初の電車は、というと、これは京都の市電で、1895年の開通らしい。馬車鉄道が1880年に開通した東京では1902年から電化が始まり、後の都電となる。先行している技術のあった結果、新技術の導入が遅くなる、みたいなのは古今有る有るなんだなと思った。尚、京都の市電は1978年に廃止されている。
 
このことを知ってから、ふと、電車に乗っているときに父親に「日本で一番古い電車はどれでしょうか」と聞いたら、少し考えた後「京都の市電」という答えが帰ってきた。なんで正解がわかったのか聞いてみたら「なんとなく、年季が入っていた記憶」だった。wikipedia見ていると、市電廃止時に「日本最初の電車が廃止へ」とかニュースになったらしいのでそれが薄っすら記憶にあったのではという気もするが、過去にも古そうと思ったのだろう、きっと。世の中に新しいものが登場すると割合記憶に残るものだけど、古いものも基本的には無くなる一方だ。見たこと無いものは見ておくようにしようと思う。
 

マニア

マニア

マニアフェスタへ行った。
ものすごく好きなものがあって、そのことを語っている人というのは楽しそうで、幸福そうだなぁと思う。辞められない中毒みたいなもので時間と場所を無限にとり、家族は実は困っている、ような人もいるかも知れないが。いや多分結構いるな。

「万象に天意を覚えるものは幸せなり」という言葉がある。岩淵水門を設計・建築した青山士という人の言葉で、どこかでたまたま石碑を見て知った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E5%A3%AB

彼はクリスチャンだったそうなので、キリスト教的な意味合いが強い言葉だけど、神と言わず天意としているところにセンスが有るなぁと思う。尚彼の偉業により隅田川下流を転々としている僕の住居は今の所洪水に見舞われたことがない。リスペクト。

さて、なにかのマニアに気づけばなっていたとして、それが「天意だ」なんて思う人はどれくらいいるんだろうか。そういうのは後からほのぼの思うもの、なのかもしれないけれど。趣味を通じて世界が広がったりするのだろうし、案外、人や後世の何かの役に立つかもしれないし、それが人生を形作るのだとしたらそういうのは天意と思えたり思えなかったりするんだろう。

人には言えない、言えないどころか迷惑をかけるような趣味や嗜好に嵌っちゃって逃れられない人はどうなんだろう。(全裸になるのとか盗撮とかやめられないのだろう人のニュースを見るたび、そういうのに比べると、申し訳ないが人生イージーモードだなと僕は思う)基本、公共の福祉に反することはやめろとしか言いようがない。天意の問題に踏み込むには、そういう沼に片足突っ込んでみて我が身の問題にしてみないと解らないような気がする。もしどこかで不幸にもそうなったら誰か、どうすか、天意感じますか?とリマインドしてほしい。

フラグ

大昔。00年代後半でベトナムのハノイに一人旅した時の話。

 

泊まった安宿は旧市街の真ん中で、周辺をとりあえずうろうろした。10年近く後にも訪れた事があるが、当時はまるで別の街だった。その頃は道行くのが自転車とバイクが半々位で、自動車は僅かだった。カラフルな看板も少なく、そもそも外国人観光客も多くは無かった。乗ったタクシーの8割位に料金を吹っかけられたのを覚えている。

 

一人旅って夜はすることがないので、宿から近くの、バルコニーが広々とした2階のバーに何度か行った。いつもガラ空きだった。ウイスキーを頼むと店員の若者が(といっても僕も二十歳くらいだったが)「ワンソート?」と毎度聞くので種類のことか、いや2種類を混ぜて出せとは言わないが、とりあえずイエス、と不思議に思いながら何杯か飲んでいるうちにone shotのことだと解った。

 

ある日、珍しく他の一人客がいた。金髪の女の人で、どっちから声をかけたんだったか(たぶん僕だ、そして話しかけるくらいだから多分それなりに美人だった気がする)、ドイツ人で、銀行で働いていたけど、なんとなく仕事を辞めて、ベトナムで姉が働いてるので2週間位居候しているとのことだった。その時僕は意識の高い学生だったので、数年で辞めるなんて根性が足りんと思っていた。すいません、あれから僕も何度か仕事を辞めました。お元気でしょうか。

 

バルコニーから見渡せる路上ではベトナム人職工が店頭で樽を作っている。あれって英語でなんて言うんだっけという話になり、互いに、出そうで出てこない、といって笑った。旧市街は(というかベトナムは全般的に)職・取り扱い商品ごとに軒を並べている。通りにも銀通りだったり布通りだったりとそのまま名前がついている。

私はスパイス通りを探していたのよねぇ、でも地図がよく解らなくて、と彼女は言う。なので店を出て、二人してスパイス通りを探して回った。彼女が誰かに書いてもらったらしい地図はおそらく不正確で、当時の地球の歩き方にもスパイス通りは載っておらず、ぐるぐる回って結局見つからないねといって笑い、同じ店に戻って結局また飲んだ。

帰り際、紙の切れ端に電話番号を書いてもらった。暇だったらまた飲みに行きましょうと言われた。旅先だとなかなかネットも使えない頃の話。電話番号をメモに書いてもらう、なんて平成仕草はあれが最後だ。

 

その後あっち行ったりこっち行ったりして慌ただしく旅行は終わってしまったが、なんで電話しなかったかなぁ、旅程は長くとるもんだなぁ、と今でも若干後悔している。

写真

写真展に行くと、写真の下に大体「ゼラチン・シルバー・プリント」と書いてある。今までなんのことか良く解っていなかったのだけれど、ざっくり調べた所、初期の写真であり撮影の都度感光液を塗る必要があった「湿板写真」に対して、ゼラチンを含んだ写真乳剤が発明され、これを用いた乾板写真、次いで、ロールフィルムが生まれて今に至る。要するに油彩、水彩、みたいに手法を並べると湿板とゼラチンシルバープリントは違うのでそれを書いてあるという話で、我々が知る現代の白黒写真だという話だ。

写真美術館のこれが解りやすい。

https://topmuseum.jp/contents/images/explanation/explanation.pdf

湿板も用いられている感光液は銀塩に違いは無いと思うんだけど、なぜ日本語で銀塩写真というと乾板とフィルムを指し、カラーも含むのか、誰か暇だったら教えてほしい。

 

そんなことを考えるようになったきっかけはソール・ライター展だった。

https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/saulleiter.html

月並みな感想としては、全部ニューヨークの写真じゃないか、と思った。カメラマンてすごいな、一般人我々は旅先くらいでしか写真を撮らないというのに。そりゃ風光明媚な所撮ったら誰でも画になるわな、そうじゃない普通の町中切り取って画になるってのは違うなぁ、と思った。

 

月並みではない感想としては、他の来場者のおばちゃんがセルフ・ポートレートをみて、「あー、あの、あれ、似てる、ほら、ジュラシックパークの、手に水こぼしてみせる博士!」と力説していた。

https://www.google.com/search?q=saul+leiter+self+portrait&tbm=isch&ved=2ahUKEwjClbzS2sTnAhVkE6YKHeP8DUUQ2-cCegQIABAA&oq=saul+leiter+self+portrait&gs_l=img.3..35i39l2.10330.11431..11894...0.0..0.110.707.2j5......0....1..gws-wiz-img.......0i30.oFKmushhVCo&ei=4xpAXoKYM-SmmAXj-beoBA&bih=799&biw=1456

https://www.google.com/search?q=jeff+goldblum+jurassic+park&tbm=isch&ved=2ahUKEwim0uro2sTnAhVF5JQKHYa8DbwQ2-cCegQIABAA&oq=jeff+goldblum+ju&gs_l=img.1.0.0j0i30l9.14078.14287..15511...0.0..0.100.192.1j1......0....1..gws-wiz-img.WDbKYWE2n4U&ei=EhtAXqaBLcXI0wSG-bbgCw&bih=799&biw=1456&hl=ja

まぁ似ているような気もするがメガネだけのような気もする。

 

きっとあのおばちゃん、こういうタイプ好きなんだろうな。

 

ホテル

一昔、いや二昔前、男三人、四国旅。

当日に宿を決めるような、呑気で無計画な道後温泉行をしたことがあった。

 

そうして転がり込んだ宿、内装が新しく、きれいで申し分なかったのだけれど、窓の位置や階段、ロビーの作りがどうにも普通のホテルと違ってしっくりこない。部屋の風呂がやたら広い。これは、もともとラブホテルだったものを改装して普通のホテルにしたのだ、と気づいた。

 

ラブホテルからラブを抜くのはどんな気分なんだろうか。魂を抜くようなものではないか。道後温泉本館で湯に浸かりながら思いを馳せた。

むしろ、由緒ある街場の宿屋が高度経済成長の波の中でラブホテルに変わるところのほうが想像はできる。戦前派の隠居に対して、「お父さん、時代は変わるんですよ。それに、男と女と宿、どうせやることは一緒なんです、なんなら最初から大々的に出した方が開放的じゃないですか」とか言ってのけるラブホテルの若大将。ワシは反対だと言って聞かない隠居の志村喬。その後断行された改装を目の当たりにしてショックで寝込んでしまう。時流に乗ってラブホテルは大当たり、支店がどんどんできる。そして、いつしか若大将も年を取り、中年の頃の山崎努みたいな感じになって節税に勤しんだりする。

21エモンも脂乗ってきたら超銀河ラブホテルを開業するかもしれない。つづれやⅡ。念願だった家業をついでくれてるんだから、こちらの父親・20エモンは何も言うまい。

 

しかしラブホテルから普通のホテル・宿に鞍替えする場合はどうなんだろう。いや、何の人情劇もなく、粛々と別の運営会社に売られて改装されてるだけなんだろうけど。

折角だから、こういう所こそ、昔はなんていう名前の宿屋で、いつごろ改装して、当時はどんな様子で、みたいなことを古い温泉宿みたいに、ロビーの横に郷土資料館みたいなガラスケース置いて、そっと展示してくれればいいのにと思う。

紆余曲折の歴史がある宿屋。狙わなくてもそういうところを嗅ぎ分けて入れるようになりたいなぁと思う。

街で聞いた話

まだ平成だった頃、大手町だったか有楽町だったかの地下を歩いていた時の話。

前を歩くスーツ姿の兄ちゃんが電話で怒り気味に話していた。

 

「こっちはずっともう、クソブタの血を使わされてるんですよ!」

 

そこから道筋が別れたので続きを聞くことはできなかったが、今でも一体何だったんだろうと思う。

 

東京には色んな仕事がある。豚の血を使う仕事だってあるだろう。

 

血を固めたブラッドソーセージのような食品は、ヨーロッパにもアジアにも色々有る。しかし仮に彼がそういうの嫌いだったとしても、食品を扱うというのにクソを頭につけるのはやめてほしい。当人は血を見るのも豚も嫌いでクソブタ呼ばわりしているのかもしれないが、そこまで嫌いな奴を、そんなニッチな食品の担当にするのも可哀相すぎる。食品関係の仕事だとは考えづらい。

 

妥当な線、医療や製薬関連かもしれない。一般人の知らないところで家畜の血は実験等にあれこれ使われているらしい。しかし、豚の血にグレードがあるもんだろうか。クソブタの血というからには良質なブタの血もあるんだろう。どう判別するんだろう。彼が小指の先で豚の血をちょっと舐めてみて判別できるような人材だったら、食品関係説とは随分とイメージが変わる。

 

もっと大胆な仮説として、ライブで豚の血を大量に使うアングラメタルバンドのマネージャーとか、豚の血を大量に使う黒魔術学園の教務課職員、人血が手に入らなくて豚の血でなんとか機嫌を保ってもらっている吸血鬼男爵の下僕…と空想は広がるけどそんなんがそこらにいるほど夢のある時代だとも思えない。

 

「クソブタ」というのが本当にその、「糞豚」なのかもしれない。謎は深まるし結局なんのために血を使うのかには答えが出ないけれども。

豚便所 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%9A%E4%BE%BF%E6%89%80

 

真実はきっと、いつも全然逆の方向にある。実は、彼の故郷の村とかの独自の言い回しだったとしたらどうだろう。例えば「よく詰まるコピー用紙のようなもの」を彼の村では「クソブタの血」と表現する。ドイツあたりのことわざにありそうだ。第一次大戦で青島から連行されたドイツ人捕虜あたりが、彼の村の養豚とソーセージ作りの祖なのかもしれない。

東京で働きはじめて数年。歩きながら急ぎの電話をしなくてはいけないほど追い詰められた彼が、つい、地元の言葉で今の切羽詰まった状況を表現してしまったのだ。そのドイツ人捕虜の血を少し引く、薄灰色をした瞳が印象的な、田舎の幼馴染は元気だろうか。ねぇ、今でも"あの出来事"のことをクソブタの血だったね、とか言って笑ってたりするのかい。

 

あるいは彼個人の独自の言い回しなのかもしれない。仕事のストレスから、興奮するとつい「クソブタの血ィィィ!」とか叫ぶタイプのヤバい奴だったのかもしれない。美少女の幼馴染がいる人間より、そういうタイプの方が東京には多い。電話口の上司の苦悩も忍ばれる。

 

東京には色んな仕事が有って、色んな人がいる。

同じ言葉でも、様々な受け取り方が有る。

とりあえずクソという形容は乱用しない様、気をつけようと思った。